6年ほど前になりますが、実家で飼っていた猫が天国へ旅立ちました。
私が中学2年生の頃、実家の敷地内には一般的な農具や車のスペアタイヤなど、物置として使用していた木の柱にトタンを繋ぎ合わせただけの、簡単な造りの大きな小屋があり、それが自転車置き場となっていました。
中学校へは自転車で通っていたのですが、ある日学校から帰宅し小屋へ入ると、何となくガサガサと音がしました。
所詮トタンを繋げただけのペラペラな小屋なので、雨風はそれなりに防げるものの、外部の音はよく聞こえます。
「風かな?」と思い、気にせず外へ出ようとした次の瞬間、かすかにか猫の鳴き声が聞こえた気がしました。
まさかとは思いましたが、鳴き声の聞こえた方へそっと忍び寄ってみると、生後半年程かと思われる汚れた白猫の姿が。
生き物を飼ったことがなかった私は、その白猫を見たとき何を思ったのかは全く覚えていません。
おそらくその可愛らしさに惚れてしまったんでしょうかね、1時間程度の攻防の末捕まえることに成功しました。
攻防の途中、パートから母が帰ってきたので猫の話をすると、「家では飼えないよ」と言って家の中へ入っていきました。
猫を捕まえて家の中へ入ると、母は軽く拒否しながらも「お父さんが良いって言ったらね」と、とりあえず私と猫を家にあげてくれました。
父の帰りを待つ間、この白猫を飼いたいと思っていたことは覚えています。
和室1室を閉めきり、部屋で猫は放置、私は宿題をしながら父の帰りを待ちました。
母も言っていましたが、父がそう簡単に猫を飼うことを許してくれるとは思いませんでした。
「ただいまー」という父の声に、私の心臓が高鳴りました。
台所から両親の話し声が聞こえ、母が父に猫のことを伝えると足音が近づいてきました。
父は部屋に入って猫を見るなり、私に「飼いたいなら飼うか?ちゃんと面倒みるんだぞ」と言ってくれました。
あまりにもあっさりでビックリしましたが、きっと一瞬で萌えたんでしょう。
ミルクは与えていましたが、すぐにキャットフードを買いに行き、無理やり身体を洗い、家族に迎え入れることができました。
身体がきれいになると、毛は真っ白で茶と青のオッドアイ。本当に可愛らしい白猫でした。
女の子だったこともあり、当然名前がないので、名前は名無しのナナちゃんとなってしまいました(^_^;)
※母が名付けました
オスならナナオかよ!!ι(`ロ´)ノ
いや、女性でナナオちゃん居たわ(^_^;)
ナナはすぐに我が家の人気者となりました。
…とまあ出会いのきっかけはこんな感じです。
しかし、私はナナに対して本当にひどいことをしたなぁと、今になってよく思うことがあります。
自分が飼いたいと言っておきながら、私の部屋に入ると追い出していました。
大人になった今でこそ、見た目ではあまり症状はわかりませんが、小さい頃からアトピー性皮膚炎に悩まされており、猫のいる環境が自分の身体に悪影響なのではないかと思っていたからです。(実際あまりよくないみたいではある)
そのくせ都合のいいときだけ、撫でたり抱き上げたりと、支離滅裂なクソガキだったのです。
また、キッチンの上やテーブルの上にあがると、大きな声を出して、しつけと言いながら叩いたこともありました。
ナナは外出も自由にさせていたので、自分で勝手に引戸を開けて外出し、帰ってくると「入れてー」と鳴いていました。
時々スズメをくわえて帰って来たときでも、ガキの私は怒って叩きました。
くわえて帰ってきた本当の理由はわかりませんが、ナナの純粋な気持ちを私は全く理解してあげなかったのです。
ナナに叩くそぶりを見せると、耳をたたんで目を細め、怯えるような感じの姿勢をよくしていたのを覚えています。
高校へあがると私自身も成長し、一切叩くことはなくなりましたし、可愛くてしょうがないのですが、もう時すでに遅し、部屋には入ってこないし、一緒に寝るなんてあり得ませんでした。
今思えば、ナナは本当に賢い子だった。
怒られたことで私の部屋に入らなかったし、キッチンにもテーブルの上にも一切あがりませんでした。
そしてとても優しい子でした。
こんなひどいことをしてきたにも関わらず、仰向けになってお腹を見せて安心してくれたり、押し入れの布団で寝ているときに顔を近づけると、嫌がることなく喉をゴロゴロならしてくれました。
しつこく顔を近づけていると、ムクッと起き上がり体勢をかえ、こっちにお尻を向けてきます(´Д`)
大学生になる頃にはナナもすっかり大人になり、あんまり遊んでくれなくなりました。
部活にバイト、また大学が遠方で往復4時間かかるなどで、家にいる時間が少なくなり、ナナとは本当に接しない日が増えていきました。
そして社会人となり、入社と同時に勤務先が遠方の営業所となってしまい独り暮らしをはじめました。
親がさみしがるので、散髪は高校時代からお世話になっていたお店にお願いすることで、2ヶ月から3ヶ月に1度、実家に帰るきっかけとしていました。
それでも5年程経った頃には、実家に帰るのも大変なのでもう独り暮らし先で散髪するようになります。
その後は正月、GW、盆休み位しか帰らなくなりました。
「猫は3年飼っても3日で恩を忘れる」ということわざがありますが、電話でナナを呼ぶと、何度もにゃーにゃー言ってくれましたし(私と認識していたかは不明)、相変わらず帰ったときに寝ているナナに顔を近づけると、喉をゴロゴロならしてくれました。
しばらくすると立ち上がり、ケツを向けるのも相変わらず…(*_*;
なんだかんだで1番ナナの世話をしていたのは母で、私がエサをあげることは少なかったので、ナナからすればこんな暴力人間は恩どころではないはず。
社会人となりタバコも覚え、私の匂いも変わっていると思うのですが、それでもちゃんと覚えてくれているんですね。
そういえば少し話が逸れますが、独り暮らしをはじめてすぐ、祖父が他界しました。
離れていたためにあまり話をしたことはなかったのですが、ある日そんな祖父が夢に出てきました。
あまり内容は覚えていないのですが、少し意味深な感じだったと思います。
そしてなぜか朝6時頃に目が覚めて、その5分後に携帯電話がなりました。
母からで、祖父が亡くなったとの知らせでした。
私は霊感とかないのですが、偶然かなと思い兄に夢の話したところ、兄はびっくりして「俺のとこにも来たよ」と言いました。
「こんなこともあるんだなぁ」と、貴重な体験をしました。
本当に話が逸れてしまいましたが、そんなことがあった数年後、ナナが夢でさよならを言いに来たのです。
これまたいつもより早く目が覚めた私は、布団の中でナナと過ごした日々を思いだし、気が付けば号泣していました。
長い時間流れていた涙がようやくとまった私は、朝8時頃に実家に電話しました。
電話に出た母に「ナナどうしてる?」と聞くと、「今ご飯食べてるよ」だって。
…オメェ何で生きてんだよっ!!
涙と睡眠時間返せ!!・゜・(つД`)・゜・
そんなこともありました( ´∀`)
そして2012年の8月だったかな、母から電話があり、ずっとナナの体調が悪くて、そろそろダメかもとのことでした。
電話があったのが木曜日の夜だったのですぐには帰れませんでしたが、金曜日の仕事を終えてからすぐに車を走らせました。
実家に帰るとナナは、自分ではもう何もできない状態で、四方を囲まれた柵の中で首にタオルを巻かれた状態で丸まっていました。
何日か前からこんな状態で、生きているのが不思議なくらいだったそうです。
ナナの顔は壁の方に向いていたため、私は背中側に顔を近づけて、何度も名前を呼んで話しかけていました。
すると、いつもはケツを向けてくるくせに、力を振り絞ってゆっくり立ち上がり、こちらを向いてくれました。
涙がとまりませんでした。
ナナもまた私と同じように、私のことを家族と思ってくれていたのかなと思いました。
その後は体勢をかえるのに疲れたのか、息をしているだけでほとんど動かなかった。
土、日曜日とそんな状況が続き、私はなるべくナナのそばにいました。
仕事があるので日曜日の夜に帰りました。
月曜日も何とか頑張ってくれましたが、火曜日の朝起きると、ナナは息をひきとっていました。
都合のいい勝手な思い込みではありますが、最後に私と会ってさよならするために、今にも消えてしまいそうな命の灯火を、ナナは懸命に燃やし続けてくれたのではないかと思います。
私は本当に後悔しています。
ガキだったとはいえあんなに大事な愛猫に対して、優しくしてあげられなかった。
一緒の布団で寝たかったし、そばにいたかった。
ナナはたくさんの幸せな時間を私にくれました。
私だけでなく、家族全員を幸せにしてくれました。
命の大切さも教えてくれました。
18年も生きてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。
もう会うことはできませんが、絶対に記憶から消えることはありません。
当然ですが、6年たった今でもナナのことはふと思い出します。
そんな時は自然と空を見上げていて、切ない気持ちになると同時に、心がユルくなるというか、優しい気持ちになるのです(*´ω`*)
本当に出会えてよかった。
別れは悲しいけれど、もし出会えていないことを考えると、その何倍も悲しいだろうと思います。
今では「死んだらどこかでまた会えるのかな」とか考えて、少しだけワクワクしちゃいます( ´∀`)
…とまあ私と愛猫の話はこんな感じですが、ペットを飼われていたことのある人は、間違いなく辛い思いをしていますよね。
「死」をちゃんと受けいれて前を向ける人は良いのですが、ペットロスに陥る人もいます。
特に、本当に愛情を注いできた人は、悲しくて立ち直れなくなってしまうのかもしれません。
「あなたがいつまでも悲しんでると、ペットも悲しんでるよ」「安心してあの世に行けないよ」なんて慰めの言葉がよくあります。
私は第3者の語る何の根拠もない形式的な慰めは、悲しみの渦中にいる方には全く伝わらないだろうなぁと思ってしまいますが、これに関しては最後のナナの行動で、まんざら嘘ではないかなと感じています。
先にも述べましたが、あくまでも自分の都合のいい勝手な思い込みです。
ナナが本当に私のことを家族と思ってくれていた場合、私がこの先ずっと悲しみを引きずって生きていたら間違いなくナナは辛いと思います。
何故なら逆の立場だったら本当に辛いので。
今までの楽しい幸せな思い出が、全て悲しみに変わってしまいます。
楽しかった時間を全て否定することになってしまいます。
それこそが1番悲しい。
ナナが居てくれた十何年間は私にとってかけがえのない時間でしたから。
私の両親は「さみしいのでまたペットを飼いたい。だけど別れるのが辛いから飼えない」と、少し億劫になっていました。
しかし、「いつか必ず訪れるペットとの別れは辛いけれど、その何倍もの幸せを与えてくれる、ナナがそうだったでしょ?家族が増えることも、楽しい思い出が増えることもすごく良いことだよ。」と話したら納得してくれたみたいで、3年前に新しく猫を飼いました。
理由あって、今では猫が2匹おりますが…(^_^;)
いつの日か間違いなく別れはやって来ますが、今の両親を見ている限り、新しい家族にそれ以上の幸せを感じていると思います。
悲しみを我慢する必要はありません。
泣いて泣いて、それでも最後に受け入れてあげることが、その子への愛情だと私は思います。
前を向けない人が大切なペットのために、悲しみにとらわれ続けることのないように願っています。